「板橋区史跡公園(仮称)整備準備展覧会シリーズ “工都” ver.3 科学研究 コズミック!線つむぐ理研板橋分所(工都展 ver.3)」(主催:板橋区教育委員会)が1月15日~30日、東京都板橋区の板橋区立中央図書館 図書館ホールで開催された。
「工都」は「工業が発展した都市」という意味を表す造語で、明治期以降、板橋区域ではさまざまな分野の産業が高度に発達し、当時から「工都板橋」と呼びならわされてきた。工都展は、平成26年度から始まった史跡公園整備事業と調査研究の成果を展覧会として公開することを目的に実施。本展を通じて、板橋区の産業や科学技術と史跡公園の歴史的なつながりについて紹介するとともに、史跡公園への興味・関心を高める狙い。
今回は戦後の復興期から約70年間にわたり日本の科学研究の一翼を担いつつ2015年に閉鎖された理化学研究所(理研)板橋分所の、特に宇宙線研究室に焦点を当てた企画展となった。近年の調査で明らかになった宇宙線研の史料や貴重な写真のパネル、さらに日本大学生産工学部中澤研究室との共同研究で完全再現が実現した板橋分所の模型と映像などが展示されたほか、閉鎖される2015年まで理研板橋分所で大森素形材工学研究室を構え研究を続けた大森 整主任研究員への特別インタビューのパネルなども展示された。
今回の工都展で紹介するのは、我が国の物理学と科学技術の水準を世界的レベルに引き上げた日本の原子物理学の父・仁科芳雄氏が1946年、理研板橋分所に移転し研究活動を再開した宇宙線研究室。
宇宙線研の研究活動のうち、中でも力を入れたのは、宇宙線の連続観測で1947年から半世紀以上にもわたって、宇宙から降り注ぐ素粒子を毎日欠かすことなく観測し続け、そのデータを世界へ公開していた。本展では、近年の調査によって明らかになった、戦後の困難な時期に連続観測に情熱を注いだ、宇宙線研の中心にいた仁科芳雄氏ら3人の研究者たちの系譜から、乗鞍岳や飛行機上、さらには南極での観測と多角化した宇宙線研究、などについてパネルと動画で紹介した。
また、前回の工都展に続いて今回も、日本大学生産工学部中澤研究室(主宰:中澤公伯教授)との共同研究で完全再現が実現した、BIM(Building Information Modeling)データを活用しての板橋分所の模型が披露された。
トプコンによる点群データや写真・資料をもとに理研板橋分所の実験設備(特殊設備)や家具を含む複数年代のBIM再現モデルを作成し、実験器具・什器、地形などは3Dプリンターなどを用いて、躯体はレーザーカッターなどを用いて、各年代の復元模型を製作。実際には1966年~2015年の理研板橋分所について年代ごとに五つの復元模型が製作されているが、今回は1966年と閉鎖された2015年の二つの復元模型が展示された。
宇宙線研が1986年に和光本所に移転し1991年に大森素形材工学研究室が板橋分所に発足しているため、実験設備の入れ替わりや設置の大幅な変遷はもちろん、1966年モデルではミーティングルームとして使用されていた部屋が、2015年モデルでは大森素形材工学研究室およびELID鏡面研削室での大型実験設備搬入の際に壁やドアが破壊され再建されているなど、さまざまな変化が確認できる。
さらにBIM再現モデルとして、ネヤー型電離箱と仁科型電離箱が展示された。
1月27日には工都展ラーニングプログラムとして、板橋区立教育科学館においてトークセッション「理研板橋分所を語りつくす!」が開催され、理研に在籍する大森素形材工学研究室 主任研究員の大森 整氏と学芸員の三輪紫都香氏が、理化学研究所と板橋分所の歴史と魅力について語った。
トークセッションではまず、板橋区教育委員会 学芸員の杉山宗悦氏より、今回の工都展のテーマである理研板橋分所 宇宙線研における日本の現代物理学の発展につながった研究活動や、宇宙線研が置かれたのが最盛期は2000人を超える労働者を擁した一大軍事工場で高性能火薬などの製造を行っていた「陸軍板橋火薬製造所」であること、現在は2025年度のグランドオープンに向けて計画の策定や調査研究を進めている「板橋区史跡公園(仮称)」が、その国史跡「陸軍板橋火薬製造所跡」を整備し、当時の遺構や建造物を含めて公開を行う歴史公園であること、陸軍板橋火薬製造所跡も工都の形成に深く関わっていることから今回の工都展を理研板橋分所に焦点を当てた企画としたことなど、企画趣旨の説明がなされた。
その後、理研・三輪氏が「理研のご紹介 概要と歴史」と題して講演。1917年に設立されて以来の歴史について、物理と化学の二部制を廃止し研究室制度(主任研究員が裁量権を持って研究室を主宰する制度)を発足させた大河内正敏氏(第3代所長・初代主任研究員)、合成酒を発明した鈴木梅太郎氏(初代主任研究員)、わが国初のサイクロトロンを作製した仁科芳雄氏(第4代所長・科学研究所初代社長)など、理研の礎を築いた人物とエピソードを紹介した。また、理研広報室が所管する記念史料室では、創立から現在に至るまでの研究所の歴史を伝える、①創立・草創期に関する記録資料、②研究所の運営に関する資料、③論文、④大河内正敏、仁科芳雄、鈴木梅太郎など研究者にゆかりのある資料、⑤研究所の特許資料/記録、⑥アルマイト製品やペニシリン関連資料、ローリッツェン検電器、金属マグネシウムインゴットといった研究成果品、⑦理研コンツェルン(理研産業団)関連資料、⑧映像・写真・画像データ・音声データ、などさまざまな資料を収集・保管していることを紹介。これら資料は理研にとってだけでなく、日本の科学史上としても有益で貴重な資料、と説明した。
理研・大森氏はまた、「信じれば光る~板橋分所での研究活動と思い出~」と題して講演。同氏が東京大学大学院の修士課程の時に半導体材料の鏡面研磨を目的に開発し、大河内研究室の直系6代目の主任研究員として研究室を構えることとなった板橋分所において板橋区の企業をはじめ産業界とともに適用展開を進めた電解インプロセスドレッシング(ELID)研削法について説明した。板橋分所において半導体からコンピュータ、光学など多様な分野で材料の鏡面研磨(光らせる)の挑戦を続けて成果を上げたことや、板橋区のレンズメーカーをはじめさまざまな企業にELID法を指導して収益向上につなげた例が多いこと、国際会議などの発表が注目され海外から多くの研究機関や企業が板橋分所を訪れたことなどを報告。また、板橋区との連携事業でELID研削や他の加工を含めて技能承継の研究を実施したことや、自然豊かな板橋分所という喧騒から隔離された空間において自由な発想で研究活動が進んだこと、板橋分所を訪れた企業とともにELID研削を応用して鏡面研磨できる(光らせる)ことを信じて、痛みのない注射針や農業支援の太陽光収集レンズ、国際宇宙ステーション(ISS)内で観測することを目的としたMini-EUSO望遠鏡用の超精密フレネルレンズなど、新しい分野での開発・参入につなげたことなどを紹介した。
続いて杉山氏を司会に大森氏と三輪氏のトークセッションが行われた。理研については、大森氏が大河内氏の確立した研究室制度により独立性が高く自由度の高い研究ができると述べ、三輪氏は日本で唯一の自然科学の総合研究所であり理研の歴史はが日本の科学史でもあるため、しっかりと理研の資料を保存し次世代に日本の科学史を継承していきたいと語った。また、板橋分所については、大森氏が理研の自由な精神と板橋分所の自然豊かな雰囲気の融合による新発想の研究テーマが生まれたことを、三輪氏が理研唯一の分室として理研の歴史上特殊な場所であり、理論物理学などさまざまな研究を進めた場として、国の文化財としても重要な史跡となることを挙げた。さらに、板橋分所のエリアを含み整備の進められている板橋区史跡公園(仮称)への期待と思いについては、大森氏が板橋分所に中高生が訪れて研修したように史跡公園もまた、若い人たちが歴史と科学の重みと雰囲気を感じながら研修してもらう場となってほしいと述べ、三輪氏は、板橋分所および工都、つまり科学と産業の発展に寄与してきた場所に板橋区に限らず全国から多くの方々に訪れてほしい、新しい発見が得られるように手伝いたい、と述べた。